愛が重い女の生き方

日曜日、

朝目覚めた時に

 


「〇〇さん!!!」と言って

目覚めた。

 


たまに

故人が夢に出てくることがある。

 


特に、

最初に働いていた頃の利用者さん。

 

 

 

私は2年半、

とある特別養護老人ホームで働いていた。

 

 

 

今でもたまに思い出すくらい

利用者さんたちのことが大好きだった。

 

 

 

今日もほんと久しぶりに

あの人がでてくるなんて!

 


と思って心ときめいた。

かわいかった…

 


私が出会った頃は、車椅子に乗っていたし

言葉もあまりでないかんじだったけれど

 


夢の中でははっきりと

 


しかもツンデレなので(笑)

 


ちょっと

怒り口調で

しゃべってくれた。

 


でもすごくきれいだった。

 

 

 

夢って不思議だなと思う。

ほんとに生きてるように感じる。

 

 

 

当時は、

 


自己犠牲的に

愛重めに生きてたなぁーと

 


利用者さんファースト、

私は2の次

 


(勝手に私がしてた)

 

 

 

それを自分の中ではよしとしていたので、

若い身体だったから

 


なんとかなっていたけれど、

 


徐々に身体がおかしくなって

壊れてしまった…

 

 

 

この方もだけれど、

好きな利用者さんが亡くなるたびに

 


精神的にもきてた…

 


特に看取れるならよかったけれど、

病院で亡くなられることが多かった。

 

 

 

業務的に看取りができるのか

話し合われた時で

 

 

 

 


施設ができた時から入居されていたので、職員さんたちから本当に愛されていて

 


看取りをすることになりかけていたんだけれど、

 


そんな中で亡くなられた。

 

 

 

延命するのではなく、最期まで施設でいたいというお元気だった時のご本人の希望が

 


叶えられたらよかったなと思う。

 

 

 

ただ、けっこうな

人手不足と業務負担があったので

 


私は覚悟しないとなと思っていた。

 


(上司に手伝いに来てもらわないとと思ってた)

 

 

 

 


だからあの人なりの

優しさだったのかもしれないなと思う。

そう思うとまた泣けた。

 

 

 

また1人、また1人と

亡くなっていく現場は

 


だいぶ精神的にきてたと今は思うんだけれど、

 


それどころでなかった(ほか9人いる)から、

 


私はぼろぼろになるまで

よく働いたなと今では思う。

 


当時はね、

 


自分の至らなさに

悔しさと

 


やりたい理想と現実が遠いことに

辟易としていた。

 


よく上司に怒っていた。

 

 

 

若かったから、余計に

情熱もあったし、

 


妥協なんてできなかったし、

みんなが心地よく過ごせることしか

 

 

 

見えてなかった。

 


(自分の優先順位が低かった)

 

 

 

でも、

よい経験だったなと思うし、楽しかったこともたくさんある。

 


だから夢にまででてきてくれるんだと思う!

 


今の仕事でもいろんな人と関わるけれど、

 


1番思い入れというか、

セーブなしで

 


重すぎる愛をいっぱい出していたのはあの時だけだなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、

片想いでおかしいくらい人を好きになっていた時よりもやばかったと思う(笑)

 

 

 

だから、

ほんとやばいやつだと恥じていたし(笑)

まずいなと感じていた。

 


でも愛が深すぎるからこそ

 


社会で仕事して、

いろんな人と関わって

友人や家族と関わって

ついでに推し活もして

 

 

 

とにかく広く分散させにゃと思いが強い(笑)

 


これを恋人1人とかにしたら

窒息させてしまう…

 


エネルギーの使い所を見つけることが大事!

 


ちょっと一人ひとりには

重すぎないようにセーブしてる(笑)

 

 

 

その代わり自分に注ぐようになったのが、

あの頃の私との違い!

 

 

 

ウッコモンにならないように…

自分を大事に(笑)